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GldbergAria -
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満月を見ながら想い出してみませんか・・・

そして、明日は月のうさぎさんに心配かけないように元気をだしましょう。

あなたが元気なら月のうさぎさんも安心して、虹の橋であなたを見守ってくれるはずです。

「ありがとう。そして、さようなら・・・・・・・また会うその日まで」

■□■ 宝物のムースへ ■□■(ひめさん)25通目のレター

 

ムースは澄んだ瞳に白いフワフワの毛皮をまとった可愛いアメファジの男の子。
鼻の両隣に一個ずつちょこんと付いてる焦げ茶のブチがご愛敬。
1月に5歳になったばかりでした。
そして2月24日が私達の家族になって5年目の記念日になる予定でした。
私達夫婦のかけがえのない宝物でした。ジャンプが大好きで、
ちょっと目を離すとイスやテーブルに飛び乗って得意げにこっちを見てるような
元気でやんちゃで本当にラブリーな子でした。 
ところが4歳になる直前のある日、イスから飛び降りた時から脚腰が不自由になりました。
何度も病院に連れて行き、頑張って痛い注射や苦いお薬や関節に効くサプリメントを毎日飲みました。
良かれと思う事は何でもしました。10歳以上になるまで一緒に暮らして、
最期は介護をして大往生を見送るのが目標でした。
体重を重くしないように大好きなペレットや野菜も少しだけ。
チモシーの牧草をメインにしました。
我慢して、我慢して、それでも私達の思いに必死に応えてくれていました。
最初は嫌がっていたお風呂も続ける内に体を預けてくれるようになりました。
ドライヤーにも耐えました。脚のリハビリや、爪切りや、耳掻きもさせてくれました。
そしてこれまで絶対にさせてくれなかった抱っこや、
顔を近づけると良く舐めてくれるようにもなっていました。
やんちゃな時は頼んでもしてくれなかったのに。。。1年の時が経つにつれ、
脚は徐々に良くなっているように感じました。
でも以前の「タッタッタ、やっほい♪」では無く、
体を揺すって「ドタッドタッドタッ」のリズム。
それでも立派に走れるようになっていました。
後ろ脚が弱い分、手を使ってムースなりに工夫して頑張っていました。
前脚はどんどん逞しくなっていきました。
ケージから出すと、真っ先に私達の側に来て寄り添ってくれるようになりました。
不自由な脚で一生懸命駆けて来てくれました。全身で愛情を表現してくれました。
それなのに私達はいつの間にかその事を当たり前の日常のように思っていました。
自分達の用事にかまけて、ケージから見つめるムースを見て見ぬ振りして待たせた事も沢山ありました。
いっぱい我慢して頑張っていたのに、もっともっと我慢をさせていました。

その日は突然でした。夕方はいつも通りご飯をしっかり食べました。水も沢山飲みました。
牧草がメインだったので健康なウンチもいっぱいしていました。
寝る前まで本当にいつもの元気なムースでした。
夜中の1時過ぎ、隣の部屋から「ガタン」と大きな音が3回聞こえました。
胸騒ぎがして飛んで行くとそこには苦しそうなムースがいました。
抱き上げると腰が抜けたようになっていました。でも何故かその時は翌朝病院に連れて行こうと、
ただ声を掛けていつものように脚をマッサージして、身体を撫でてあげる事しかしなかった。
危機感を持っていませんでした。
2時、3時、同じようにうずくまっているムースを励まして撫でてあげただけ。
赤ちゃんの頃から大好物だったパパイヤのお菓子を口元に持って行っても
首を弱く横に振って食べてくれませんでした。
その時は今まで何度も危機を乗り越えて来たムースが居なくなるなんて全然思わなかった。
ただ朝まで様子を見ようと眠りに付いてしまいました。
翌朝6時過ぎ、ケージに掛けてあった布をめくるとうずくまって瞳に元気の無いムースがいました。
声を掛けて身体をマッサージしてネットで病院を探したけどこんな時間どこにもつながらなかった。
その時初めて救急センターが朝の5時までやっていた事が分かって愕然としました。
私と主人が見ている前でムースの頭がガックリ倒れ、
そしてみるみる瞳の光が弱くなっていきました。
今までに見た事の無い弱い瞳。私達はそこで初めて死を感じました。
泣きながら声を掛け、身体をさすり、人工呼吸と心臓マッサージをしました。
ムースの垂れ耳を持ち上げて必死に声を掛けました。
「ムーちゃん頑張れ、行かないで。まだ早過ぎるよ。ムース。。大好きだから」
たった10分位だったけど必死で思いを伝えました。 でもダメだった。
最期に大きな息をしてムースは月に帰って行きました。 
どうしてずっと側に付いていてあげなかったんだろう。
どうして救急病院を調べなかったんだろう、どうしてどうして。
取り返しの付かない事実を前に悔しくて悲しくて、
冷たくなっていくムースを抱いて泣き崩れる事しか出来なかった。
綺麗なお花と大好きなリンゴとご飯とお気に入りのお菓子と一緒に火葬してもらい
フワフワで暖かかかったムースは冷たい骨壺に入った小さな小さな骨になりました。

亡くなる前日ムースは窓辺でずっと空を眺めていました。
どうするかなーと思い、一度も出た事の無いベランダの窓を開け放していたのに
外には出ようともせず、ただじっと空を見ていました。
その様子が可愛くて写真に撮ろうとカメラを構えたらすっと逃げてしまいました。
ムースには分かっていたのかな。。。でもこの日はあまり構ってあげられなかった。
大好きな添い寝も、好き好きのキスも、撫で撫でも殆どしてない。
残された貴重な時間をケージで淋しく過ごさせてしまった。
大好きなお菓子もあげられなかった。。。
亡くして初めてムースのこれまでの行動の意味を知りました。
どうして舐めてくれるようになったのか、側から離れないようになったのか、 いつもこっちを向いていたのか。
ムースは限られた時間、私達に一生懸命愛情を与えてくれていたんだと思います。
小さい身体で痛みを我慢して、駆け寄って来てくれていたんです。
もっといっぱい愛してあげれば良かった。
大好きな野菜や果物やお菓子もお腹いっぱい食べさせてあげれば良かった。
我慢なんて何もさせなければ良かった。。。
ムースが愛しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でももう伝える術が無い。ムースが生きてる当たり前の大切な時間はもう帰って来ない。。。
今はお骨になってしまったムースを前にただ泣く事しか出来ません。
大好きなペレットとセロリをお皿に一杯あげてもそれが無くなる事もありません。 
ムーちゃんに会いたい。本当に辛いです。       (2006年2月22日 記)

 

 


 

■□■ うさぎがいたベランダ ■□■(ゆんさん)24通目のレター
 

我が家のベランダにはうさぎがいた。
   とってもすてきなうさぎだった。

彼の名前はてぶくろ。

顔の中央と片手の先っぽだけが白い、白黒ブチ。
青い目と白い手先がチャームポイントの雄うさぎだ。

南向きの広いベランダが彼のテリトリー。
暖かい午前中は植木の脇で、夜は真ん中で目を光らせて。
夏の暑さを避けてエアコンの室外機の下へ、雨の日は軒下へ。
私が作った「ほったて小屋」には大雨の時くらいしか入らなかった。
この地域では珍しく雪が積もった日や、大きな台風がくるときは、
ゲージに入れて家の中にいれてやったが、自由をこよなく愛する彼は、
ケージの束縛よりも天候にかかわらずベランダを徘徊するほうを選びたそうだった。

プランターの土を掘り返してみたり、ハーブの苗の新芽だけを選んでついばんでみたり、
ちょっとしたいたずらもした。お気に入りの場所でコックリコックリ船をこぎながら
昼寝し、時には寝起きに小さな口を目一杯開いて大あくびをしたりもした。
車が通りすぎると片耳だけぴくんと立ててその音を追ったり、
驚くと大きな目をまんまるに見開いて警戒した。

洗濯物を干しにベランダに出ると、甘えて足の周りをくるくると走り回った。
洗濯物を抱えて歩いていて、足下の彼に気づかず、うっかりけとばしてしまったこともあった。
それでも彼は懲りなかった。
眉間から耳の付け根あたりの狭い額をなでてやると、あごを地面につけて平らになり、
いつまでもなでてほしがった。耳の後ろの柔らかい毛が生える部分を指先でなでてやると、
気持ち良さそうに軽く歯を鳴らした。
時々ベランダでかけっこ(?)をした。「よーいどん!」「てぶちゃん、かけっこ!かけっこ!」
「こっち!こっち!」先に走って呼ぶと耳をピンと立てて、駆け寄ってきた。

主食のラビットフードも飽きもせず、ずっと同じ種類を食べていた。
にんじんやレタスのような野菜は大して好きじゃなかったが、
リンゴや梨や柿などの果物の皮やイチゴ等を好んで食した。
ベランダに植えてあったハーブの類をつまみ食いするのも好きだった。
一番の好物は「クッキー」。獣用ではなく100円均一のビスケットや森永マリーが主体だったが、
朝夕1枚の半分を妹に与えられるのが日課だった。
うさぎの身体には良くなかったのかもしれないが、それでも彼は長生きだった。
彼が食べこぼしたクッキー屑をついばみにくるスズメを見守る彼の目は心なしか優しかった。
ボーロも好きだったが、間違って指を嚊まれそうで、与えるときひやひやした。
ポッキーを食べるときは「茎」(チョコレートの付いていない持ち手の部分)を彼のために残した。

家の中に入ってはいけないと彼なりに分かっていたのか、
たまに忍び込んで廊下でいるのを私たちに見つかると、文字通り「脱兎のごとく」
フローリングに下半身を滑らせながら猛ダッシュで逃げた。

暑さが苦手な彼のためにホームセンターで買った「ひんやりマット」、お気に入りスポットの1つ、
夏の避暑地(?)ベランダの西側のエアコンの室外機の下に設えてやったが、
まったくお気に召さなかったらしく、鼻先で押し出されてしまいのってもくれなかった。


   春も 夏も 秋も 冬も
   晴れの日も 雨の日も 雪の日も
   ベランダを跳ねる ベランダで眠る

   我が家のベランダにはうさぎがいた。
   とってもすてきなうさぎだった。




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彼が生まれたのは初夏……7月。
茶色のパパうさぎ「うーちゃん」と白黒ブチのママうさぎ「ちーちゃん」の間に
6匹兄弟たちと共に産まれた。
パパうさぎとママうさぎはそれぞれペットショップで「ミニうさぎ」として
売られていたものだったが、立派にでかく成長していた。

7匹の子うさぎたちはとりあえず外観から「ちび黒」だの「茶白」だの通称で呼ばれた。
………が、折しもその年は記録的な猛暑。生まれたての子うさぎ達と、
出産直後の母うさぎ「ちーちゃん」は暑さに耐えきれず次々と息を引き取った。

まだ乳離れもしていない内に母うさぎや兄弟たちと死に別れた彼だったが、
「獣用ミルク」の存在も知らない飼い主たちによって「人肌くらいに温めた牛乳」を
与えられたにもかかわらず、すくすくとたくましく成長した。

彼には春生まれの姉兄も3匹いたが、既に2匹は母の友人宅にもらわれていった後だったので、
残っていたのは茶色の姉うさぎ「ちゃーちゃん」1匹だけだった。
「人肌牛乳」を彼よりも好んで飲んでいたのがこの「ちゃーちゃん」だった。

その夏が過ぎ、我が家に残ったうさぎは、パパ「うーちゃん」、姉「ちゃーちゃん」、
彼「てぶちゃん」の3匹になった。

我が家のうさぎが3匹だった頃、彼らは交代に「ベランダ」「妹の部屋」「ケージ」で過ごした。
妹の部屋の壁紙やカーテン、サッシの縁の木枠は、うさぎたちによってボロボロになっていた。

そんなある日、妹の部屋で遊んでいた彼はハイジャンプに失敗して首が曲がるという事故に遭う。
首が曲がって目が回っている彼を見て、彼が死んだと思った妹は号泣した。
見ようによってはなんとなく彼の首は曲がったままのような気もしたが、大事には至らなかった。

そして月日は流れ、父うさぎ「うーちゃん」と姉うさぎ「ちゃーちゃん」がこの世を去り、
ベランダは彼だけのものになった。



   春も 夏も 秋も 冬も
   晴れの日も 雨の日も 雪の日も
   ベランダを跳ねる ベランダで眠る

   我が家のベランダにはうさぎがいた。
   とってもすてきなうさぎだった。


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私がニューカレドニアに行っている間に、彼は天に召されました。
帰国したときに母に聞かされた彼の最期。
彼は最近では滅多に忍び込むこともなくなった家に入り込み、2階の一室でその時を迎えたようです。
彼には自分の最期の時が分かっていたのでしょうか?

今年の7月の誕生日で11歳を迎えるはずだったてぶちゃん。
うさぎにしてはだいぶ長寿の域に達していたので、いつかは別れがくることも分かっていたけれど、
それはとても突然でそして静かに訪れました。
今年の夏も暑かったので、きっと年老いた身体で苦手な暑い季節を過ごす前に、
旅立っていったのだと思います。

今でも自室のサッシ越しにベランダを覗く癖は続いています。
「今日もてぶちゃんはいいうささんにしてるかなぁ」って思ったりします。
植木の脇やエアコンの室外機の下で、今も彼が昼寝してそうな気がします。
洗濯物を干しにベランダに出るときは、うっかり足下にからみつく彼を踏んだり
けとばしたりしないようにと足下に気をつけます。
ポッキーを食べると、今でも彼のために「茎」を残してしまいます。
もうそこに彼はいないけれど……

かわいかったね。 いいこだったね。
もっとずっと一緒にいたかったね。

大好きな私たちのてぶちゃんがベランダにいた日々の思い出を、
思いつくままつづってみました。

   てぶくろ 雑種♂ (H6.07.14~H17.06.27 10歳11ヶ月)

 

 

 

 


■□■ 大 好 き な ラ イ ちゃんへ ■□■(ゆかりさん)23通目のレター
 

大好きなライちゃん、今はもう私のお腹にいますか?

私たちの大好きなライちゃんが2005/4/27の0:10にお月様にいきました。
ライちゃんはとても波乱万丈な7年間でしたね。
2度の毛球症と緑内障に最後は脊椎の圧迫骨折で本当に可哀相な思いをしました。
圧迫骨折は本当に原因不明で実家に4/15久しぶりに帰ってきたら
ライちゃんが前足だけで動いていたのでおかしいと思い
次の日すぐに病院に連れていきました。
レントゲンをとってもらったら脊椎が損傷していました。
死にそうになるほど痛かっただろうに。

それから食欲が余りなくなっていきましたが、私と主人が実家に帰った23日は
急に元気になって足は動かずでしたがパインゼリーやペレット、チンゲンサイを
モリモリ食べてくれました。でも次の日にライちゃんが嫌いな人が家に来て
ストレスが溜まったのか母が言うには全くご飯を食べてくれなくなりました。
心配になって私はネットでウサギの強制給餌の仕方等調べて、
動物病院に栄養剤とシリンジをもらいにいきました。
しかし、ライちゃんは全く飲み込んでくれずダメでした。
16日からあげている痛み止めの抗生物質をりんごジュースでといたものは
何とか飲み込んでくれました。
無理やりスポイトであげるのでとても可哀相でした。
25日には私が無理やり
口の側にやったライちゃんの大好きなイチゴを半分だけ食べてくれました。

26日、私は16時頃実家に帰りました。母は買い物に出かけていて私とライちゃんと
猫のユキちゃんの三人でした。骨折したときからずっと同じ体勢でライちゃんは
うつむいていましたが、私が帰ってきたら顔をあげてくれました。
いいこいいこしてあげた後、「ライちゃんの大好きなイチゴ買ってきたよ。」って
いってあげたけど初めて手でいらないってされました。
神社に行って私の寿命を何年使ってもいいからライちゃんを治して下さいって
頼んだけどライちゃんにいらないってされたときに私の寿命分ももういらない、
もう治らなくいいってされた気がしてとても悲しくなって涙が出てきてしまいました。
床ずれを起こすから何度か体勢を変えても同じ体勢にすぐ変えてしまうので
低反発のクッションに寝かせてあげて私も一緒に横になってずーっとライちゃんを
撫でてあげたり温熱療法をしてあげたりしていました。
その間、猫のゆきちゃんも、らいちゃんの事を心配してか、
普段は絶対しないのにライちゃんの手と足をなめたりしていました。

27日を過ぎる辺りから大好きな頭撫で撫でを嫌がるようになり、どうしたんだろうって
思っていたら呼吸の仕方がおかしくなり急に立ちあがろうとしました。
一瞬、足が治ってきたのかなって思うほどでした。
母と「ライちゃん足治ったのかな!」って言っていたらもう一度立ち上がろうとした時、
最期の力を振りしぼってか「キーキーキー」と三回も大きな声で鳴きました。
生まれて初めてライちゃんの声ききました。
そして、尿がペットシーツ三枚分バーっと出てきて
母が「抱っこしてあげて!」と私に言ったので慌てて抱っこして
ずっと「ライちゃんライちゃん」って母と二人で声をかけてお腹をなでてあげていました。
まだ心臓はどくどくしていました。
ライちゃんの目をじっと見ながらずっと頑張れ頑張れって母と声をかけていましたが
段々と目の奥が白くなってきて魂がぬけてきたのがわかりました。

母がライちゃんって泣き崩れてわたしも涙がずっと止まりませんでした。
でも、ライちゃん早く楽になりたかったんだよねって言って目が開いたままで
私の顔をずっと見つめていたのでおやすみっていって目を閉じてあげたのですが
全然閉じませんでした。何とか半分だけ閉じたところできれいに体を母と拭いてあげて
タオルにくるんでクッションに寝かせてあげました。

お月さまに帰ったのかなと思い、望遠鏡で月を見たら
何とライちゃんの横顔がはっきりといたのです。
母にライちゃんお月様の中にいるよっていって見せたら
母も「あっライちゃんがいる」って言って二人で驚いていました。
うさぎは神様のおつかいものっていわれますが本当なんですね。

ライちゃんは私のお腹の上で息を引き取りました。
私のお腹には9月に生まれる赤ちゃんがいますのでそっちにいくねって
最期にフンってライちゃんが息を吐いたときに言ったような気がしました。
ライちゃんは今度人間に生まれ変わって私の赤ちゃんとして今度来るんだね。
って母と話していました。

27日という日も不思議な日で私の誕生日も27日です。
そして今度引越しするところも偶然にも27階です。

母はライちゃん私の赤ちゃんに生まれてきたかったんじゃない?
それで27日を選んでお月様に行ったんだねって言ってました。
おうちを出る前にライちゃんが大好きだったピアノを弾いて聴かせて
27日の夕方、立会いで火葬してもらい最期のお別れをして小さな骨を頂いて帰りました。
骨折してから食フンをさせてあげてなかったからご飯たべれなくなったのかなとか
色々考えてしまい、しばらくは立ち直れそうにないですが、
お腹の赤ちゃんにライちゃんがいるって思っています。


 

 

 


・・・チイちゃんへの手紙「また、会おうね」・・・(チイのパパとママさん)22通目のレター

 

チイ、虹の橋でみんなに仲良くしてもらっていますか?
甘えん坊だったんでパパもママも少し心配しています。
手の平に乗る程小さい時に家に来て病気がちで
しょっちゅうお医者さんに連れていったね。
ケージが大嫌いでオシッコをしないので膀胱炎になってからは
ずっと出しっぱなしで家の中はチイが噛んだ後が
今でも一杯残っています。

顔が小さくてスリムでモデルさんみたいに可愛かった。
布団の中が大好きでいつも入ってきてはクークー眠り
大好きなパパが出掛ける時はいつも追い掛けていって、
病気になると枕元にズーッと座っていてくれたね。
パパもママもチイが大好きでした。今年に入ってすぐ、
後ろ足の具合が悪くなって子宮を取ってもらって
良くなって来たって喜んでいたのにその時にはもう癌が
脊髄まで転移していて段々歩けなくなって最後はウンチも
オシッコも手を貸していました。

腫瘍が脳にいくとものすごい痙攣が起きることがあると先生に
言われてそれを緩和する注射を毎日打ちに連れていったのも
ママはチイに悪かったなあって思っています。
しんどかったでしょ?でも、良い先生だったね。
携帯の番号もくれて休みの日にもチイを見に出てきてくれたもんね。

2月22日の朝4時半頃呼吸のおかしいのに気がついて
あわててパパを起こして段々呼吸が弱くなっていく中
パパの「チイ、もういいで」の声に答えるように
大好きなパパの腕の中で静かに息を引き取っていった私達の宝物。
心配していた痙攣も起こらなくて良かった。
でもオシャレさんだったのでもっと毛繕いさせてあげたかったな。
外に出るのも大好きだったのでもう一回思いっ切り外で走らせて
あげたかった。パパもママも本当に淋しいです。
チイちゃんよく頑張ったね。今度生まれ変わっても
私達の子供になってね。
もう、しんどくないで。ゆっくりねんねし。また、会おうね。

 

 


…仙太郎くんへの手紙…(Sen703さん)21通目のレター

 

この会は仙太郎が亡くなってからだいぶ後に知りました。
4ヶ月経ってもまだその悲しみが癒えないでいる時でした。

今年の4月27日17:40に仙太郎は息を引き取りました。8歳でした。
2日前からほとんど食べなくなり前日に病院で抗生物質を注射してもらい
お薬も飲ませても食が戻らなかったので再度病院に行った時でした。
前日は触診だけだったので、レントゲンを撮ってもらう為に隣室へ連れて行かれ、
手元に帰ってきたときに様子を見ようとキャリーから出したときでした。
いきなりキーっと泣きながら私に飛びついてきて、キャリーに戻し今度は主人に
飛びつきそのまま腕の中でぐったりとしました。
すぐに先生が飛んできて蘇生を始めてくれましたが、もうだめだと直感しました。
さっきまではとても元気だったのに・・・信じられませんでした。
否定しても否定しても目の前の現実が私を襲います。
30分後先生から死亡の通知を頂きました。
丁度そのころ出来上がったレントゲン写真を見て、肺に水が溜まっていたこと・
よく今までもっていたことを告げられました。
その後先生に綺麗にしてもらい、家に帰り着くまで何度も前日にレントゲンを
撮ってもらわなかったことを後悔しました。
一日違えば結果も変わっていたかもしれません。
のんびり構えていた自分を責めました。
ごめんね仙ちゃん。最後に辛い思いをさせて・・・

その夜二人でお通夜をしました。
まだ信じられず、撫でているうちに起きあがりそうで。
一晩中撫でていました。だんだん硬くなっていくのがわかります。

次の日霊園に連れていきお葬式をあげ火葬してもらいました。
お骨拾いの時係りの人が年の割に骨がまだしっかりしていると言いました。
肺に水さえ溜まらなければまだまだ長生き出来たでしょうに・・・
また自分を責めます。もっと早くに行動していたら・・・

でも仙ちゃん、ありがとうね。
こんなおかーさんでも最後にお別れの挨拶してくれて。
あの時の鳴き声一生忘れないよ。
あなたの温かさ、仕草、ずーっと忘れないよ。
今はお月様で穏やかにお友達と過ごせているかな。
こんなおかーさん、おとーさんの事わすれないでね。

私達がそちらに行くまで待っててね。
8年間も楽しい思い出をありがとう。

 

 

 


…ぴいとママはずっといっしょの日記…(ぴいママさん)第20話


 

お月様旅立ちの日から 今まで経験したことのない悲しみでした。


2002.6.8 PM 2:00 …突然の恐怖…でも…ぴいと約束したこと


1998.10.28 可愛いぴい(アメリカンファジーロップ)が生まれました。
本籍/お月様 
生まれ/愛知県名古屋市のやさしい獣医さんの病院で生まれたアメリカうさぎ


2002.6.8/PM2:00 住所変更…ぴいママの心

突然、約束の日がきました。
嬉しいけど、悲しい約束…ぴいとママちゃんはずっといっしょ…
この約束は前から「ぴいの写真館」河川敷にて…でも書かれています。
毎日の会話だったのです。
なでなでしながら
「ぴい…ママちゃんの所にきてくれてありがとね~
ぴいとママちゃんはいつもいっしょ…ずっといっしょだよ…」
必ずその後ぴいは私をぺろぺろしてくれてました。
温かい舌で…その後あごに顔を突っ込んできます。
私とぴいの時間…
その温かいぬくもりの時間はある日突然奪われてしまいました。



2002.6.8 午前中はポヨとしているぴい…眠いのね~
正午、元気に私の回りで遊び、私は母の用事で出かける予定だったのですが、
何だか暑くて行く気がしなかったこと… 
そして息子その2の部活が13:00から14:00に変更になったことを言い訳に
母の用事を14:00に変更してもらいたく電話を入れて、13:20までレスを書いていたのです。

ガタ!と音がして「何?」とぴいの所に駆けつけてみると、
ぴいが全く歩けなくなっていたのです。
ちょっとでも動こうとするとひっくり返ってしまう…!
ただ事ではないことは一目瞭然…
息子その1・その2もいっしょにいたので、急いで病院に向かう段取りをしました。
私が抱っこをして、息子その2も同行…
病み上がりの母が車の運転で駆けつけてもらい病院へ…
その車の中で、ぴいがギューと体を反ったと思ったら、ガクっと私にもたれかかり
、 息をひきとったのがわかりました。
でも…「ぴいーーーぴいーーー」叫び続け、
指で心臓マッサージをした時、3回ほどお鼻をピクピク…

「あ!息をしている…」「ぴいーーー」
…っと叫び、でも…目が変わって行くのを感じました。
病院には13:50に付きました。
土曜日で午後診療は15:00まで…
他のワンちゃんが診察していたのですが院長先生が対応してくださり、
ぴいを診ていただいだのですが、既に心臓は止まっていました。

私は人前で、これほど大きな声で泣き叫んだことはありません。
回りなど関係ない…その事実を受け入れられない…
ぴいがこんなに突然、私の元を離れるわけない…泣き崩れ、床に腰を落とし

「イヤーーーーーぴいーーーーー」

…と叫ぶだけでした。
そしてぴいを家族にしたいと、一番はじめに望んだ息子その2の
泣き叫ぶ声に気が付いたのはだいぶ後でした。
高校生という多感で恥ずかしい年頃の息子が、我を忘れて叫んでいる姿を見て、
私はぴいにおきた事実を認識せざるを得ませんでした。
ぴいがきれいなままでいられるように、
先生方がお花柄の棺にぴいを可愛く・綺麗に安置してくださり、
ゆりの花が偶然病院にあったので切って入れてくださいました。
精算はいらないと…
「ぴいちゃん、1年前すごくがんばったから、いいよ…」って…
そうです。ぴいは信じられない奇跡を起こした子なんです。
こんなに回復をすることは信じられないことだったのです。
午前中だって、いい●をしていました。毛があんなに長いのに、
お腹は全くはってなかったそうです。

先生の診断は…

「人間にだって突然、心筋梗塞・くも膜下出血とかあるように
おなじ動物のぴいにだってあるんだよ…
人間の10時間がぴいちゃんの1時間だからね。
悪くなるのが早いからね…原因は解剖すればわかるけど、かわいそうだよね」

原因は今となっては、知っても仕方ありません。
解剖すればこれからのうさぎの病気に役に立つのかもしれません。
でも、ぴいは一年前に、すごく病気と闘っているのに、
これ以上辛い思いはさせたくありません。
私の胸の中でゆっくりとさせてあげたい…そう思いました。

今日という日、私も息子も予定が変更になったから、ぴいの側にいてあげられた。
もし、私が母の用事で出かけていたら…息子が予定通り部活に行っていたら…
ぴいはケージの中でひとりで苦しんで死を迎えていたのでしょう。
たった一つの救いは、私はぴいを腕の中で安らかにしてあげたい
…という思いが通じたことです。
家に帰ってきても、突然すぎて思考回路が正常に働きません。
ただただ涙が溢れてくるだけでした。

「ぴい…ぴい…」

…とバスタオルにぴいをくるみ泣くだけでした。

本当に泣くだけ…

悲しいことに、時が経ってくるとぴいは部分的に冷たく固くなっていきました。
ぴいを冷やしてあげないと…可愛いままお月様に行かれない
…と我に返りネットの友達古塩うさぎの母さんに電話でどうしたらいいのかと相談しました。
古塩さんもとっても悲しんでくれたことは覚えているのですが私が錯乱していたため、
私が何を言ったのかよく覚えてないのです。(古塩さんごめんなさい)
ただ冷やしてあげないとぴいが可愛そうなんだ…と思い、
再びぴいを棺の中に戻してあげました。

時間が経ち、主人が帰ってきて、愕然とした顔…連絡はしてあったのですが、
私と同じようにあまりにも突然すぎて考えがついていかれないのです。
そして…人前では絶対弱さを見せない・泣き言はいわない強い主人の泣く姿は、
一生見られないと思っていたのですが、
目から流れ鼻先から落ちていく大量の涙を見たとき、深い悲しみを感じました。
顔を洗っても、溢れてくる涙…そう…主人だって悲しいのです。私達の娘だったから…
息子は社会に出て行く子…
叱りたくなくても、教えなければいけないことがあるので厳しくしてきました。
その反動なのか、私達夫婦はぴいに関しては溺愛していたと思います。
ぴいはその愛を何倍にもして返してくれる子で
「愛おしい」という意味を教えてくれた子だったのです。
その晩は棺を抱いて寝ました。そして翌日は友引だったので、
家族でぴいの話をして、夜にはお月様に可愛いぴいでいられるように、
ブラッシング・爪切りをして
最後にみんなでぴいを抱きしめました。
ひとりひとりの思いを長時間無言でしたがいっぱいこめて心で語っているのでしょう…
最後にはみんな同じ気持ちです。


「ありがとう…ぴい…」


文章では書ききれない思い…すごく重くて言い表せない気持ち…

そしてぴいと家族は同じ部屋で寝ました。
今日10日、ぴいがお月様経由で私の心に宿る日です。
ぴいとの約束…「ぴいとママちゃんはずっといっしょ」の日です。
そして主人に対して再度ビックリしたのですが、
6月は私の誕生日なので「○○したつもり」と缶の中に貯金をしていたのです。
若い頃はお花をくれたのですが、最近プレゼントの話をしたときに知らん顔していた主人が
缶を手に「お誕生日にお花を買おうと思っていたんだけど、ぴいにお花を買って欲しい」って…
私も子供達もビックリしましたが、ぴいにとって最高の花だと思っています。

朝、火葬場に行く前に主人は1時間ほど仕事があり出かけ、
子供達も学校に出かけ、ぴいとふたりになりました。
部屋の温度は冬にしてあります。
私の布団にドライアイスもいっしょですが、ぴいといっしょに布団の中で横になりました。
常日頃、ぴいは私の枕にあごを乗っけて、私になでなでされながら甘えてました。
たまに足元まで入り込み、布団をホリホリしてあそんだり…


最後に大好きだった「枕でネンネ」をさせてあげたい…


そう思い、布団の中でぴいのお鼻と私の鼻をくっつけてずっとお話をしてました。

主人が帰ってきて、再度私とぴいの布団での姿は辛かったのでしょう…
2人ともただ「ありがとう」と繰り返し、溢れる涙を隠すことはありませんでした。
火葬場に行っても私は溢れる涙は止まりません。
「ぴいとずっといっしょ」の言葉を繰り返し、今の姿のぴいとは最後のお別れです。
ゴーという熱い音の中にぴいが消えて行くとき、
どうにも自分をコントロール出来ず、泣き叫んでいました。
でも、後ろで主人が背中をさすっていてくれたことだけは覚えています。
一時間ぴいがお月様に行く準備中、
動物達のお墓に風車とお花がとっても可愛くて優しさを感じる場所で
煙突から出てくる煙を見てぴいに語りました。


ぴい…お月様経由でママちゃんの所においでね…
ママちゃんの心に住むんだよ。約束したもんね…


掲示板・メールで励ましてくれて本当にありがとう。
励ましのエールは私の力となると思っています。
本当に温かいエール…ありがとう。

こんなにも辛いことがあるなんて…
ぴいを家族に迎えて心のどこかで覚悟していたこと…
でも、私の許容範囲を超えてしまい、思考回路を失い、
今まで生きてきてこんなに悲しい・淋しい・辛いことはなかったと思います。

どうしようもないこの気持ちはすぐに癒えるものでもなく、
癒してくれていたふわふわのぴいには逢えないのですから、
心のぴいと長い時間をかけてお話をしていくしかないのだと思ってます。

愛兎ぴいがいなければHPを作ることもなかったですし、お友達に出逢うこともなかった。
でも、ぴいはこれからもみなさんと生きていかれる場所を残してくれました。
たった開設2ヶ月のぴいの成長でしたが、
これからは想い出を綴りながらもぴいは私といっしょに生きていきます。
どうもありがとうございました。
そして…これからもぴいとぴいママをよろしくお願いいたします。



愛兎ぴい…ぴい…ぴい…ぴい…ぴい…

ぴいとママちゃんはずっとずっーといっしょだよ


 

 



グーフィーの想い出(yoshieさん)第19話

 

■グーフィーとの出会い

グーフィーを飼い始める2~3年前(もっと前かもしれない)に
初めてテレビでロップ系のうさぎがいることを知りました。
耳が垂れてるうさぎ??可愛い♪とひとめぼれ。
絶対いつか飼ってみたい・・・というのがうさぎに興味をもったきっかけです。
まだその頃は実際にロップ系のうさぎをペットショップで見かけることはありませんでした。
だんだん見かけるようになり、ますます飼いたいよ~という思いがありました。
グーフィーを飼いはじめる1年前ぐらいからうさぎの飼育書を買って
どうしたらいのかなぁ~と勉強しました。なかなか気に入った子がいなく、
うさぎの専門店があることを知り、行って見ることにしました。
練馬にある「空飛ぶうさぎ」さんへ1999.3.6に行きました。
ちょっと見に行ってみるだけ・・・でも私の中ではライオンロップの男の子!って
決めていたのでした。お店の中は当たり前だけどうさぎだらけ。
30羽以上のいろいろな種類のうさぎがいて感動しました。
すぐにライオンロップの子を見せてもらいました。
ライオンロップの子は6~7羽いて、白くてお鼻の模様が可愛かったグーフィーに
すぐ決めました。この時からキョロキョロ立っちしてました。
歯やおしりなどをチェックしてもらい、食べているペレットも一緒に買って帰ってきました。
どの位の大きさになるか聞いて、お店にいた大人の子位と言われ、
案外大きくなるんだなぁ~と思ったとおりグーフィーは立派に大きくなってくれました。
家に帰ってきてからケージをあわてて買いに行き、そしてグーフィーとの生活が始まりました。

■大好きなグーフィー

グーフィーはもともとの性格なのか、私が仕事をしていてお留守番が多いせいか
(性格の方が大きいと思いますが)自立している子でした。
なので、私がいても勝手に自分で遊んでいました。
しかしやんちゃなので思いっきりダッシュしてフローリングだから
止まらず壁にぶつかってるし、高い所に上ったり(自分で上ったのに降りれない)、
グーフィーがまだ小さいとき、いろんな所に入りこんではいたずらしてたりしてました。
今はその棚はないのですが、今のケージの高さぐらいの段のところに化粧品のかごを置いていて、
朝化粧をするのにそのかごを取ってその場所が空くと、
いつの間にかその場所にグーフィーが置物のように澄まして座っているのです。
それも毎日・・・グーフィーの日課にしていたのでしょうか・・・面白い子でした。
だんだん後をついてきたり、急にバタンと倒れて寝てみたり(初めて見たときは
びっくりしました)、どこでもゴロンゴロンしてその顔を眺めてる時間が幸せでした。
慣れてきて可愛さもますますアップしてきました。
グーフィーは知らない人が来ると逃げて隠れてしまったりするちょっと臆病な子、そして頑固な子でした。
あとはなんといっても食いしんぼう・・・。
食べ物に対してはほんとにすごかったです。
ゴミ箱に顔を入れてみかんの皮を食べていたこともありました。
私はグーフィーのほっぺが大好きでした。
ほっぺは他のとこの毛より密集していて
ほわほわなので触ると気持ちよく、食べてる時のほっぺの動きが可愛かったです。
ごはんを食べてモグモグしてる時のグーフィーを見るのが大好きでした。
だから食いしん坊になって大きな子になってしまったのかな。
我が道タイプのグーフィーも、5歳近くになってくると甘えてくるようになりました。
座っていると目の前に座ってなでなでの催促。
歳を重ねていくごとにますます可愛さアップ↑↑していきました。

■がんばってえらかったグーフィー

去年からくしゃみと鼻水を発症して原因もはっきりわからず、
一時は改善してたけど今年になってまた発症してしまいました。
明らかに去年よりひどくなっているのは実感してました。
でもグーフィーはずっと元気で食欲旺盛は変りありませんでした。
病院で吸入に通い、薬を飲んでもあまり変らないままでした。
やっぱり小さな体にはだんだん負担になってきていたのでしょう。
苦しそうな感じになってきて、急激に呼吸状態は悪化してしまいました。
その時には肺浮腫もきて、腫瘍もあるかもしれないということだったけど、
詳しく検査する前にグーフィーは逝ってしまいました。
グーフィーはとてもとてもがんばりました。いつも誉めてあげました。
ただやっぱり後悔はあって、早くにレントゲンを撮ってもらえば・・・
まだやれることはあったはずだというのが頭から離れませんでした。
呼吸器系の病気は最期が辛いです。
注射をしてもらい少し呼吸が楽になってた様子でしたが、数時間後には
苦しそうになってきました。
市内の本院は24時間体制なので心強かったです。
「がんばれ!」という気持ちと「苦しいから楽になっていいよ」という気持ち、
複雑な思いでグーフィーと一緒に過ごしました。
かなりグーフィーは弱っていたので、私は自分で看取ることに決めました。
苦しいのであまり触ってほしくない様子があり、もう体力もないのに過ごした部屋を
何箇所か走って移動したりしました。
最後の方でお水を飲み、お野菜を力なく食べ、パイナップルも食べました。
食いしん坊グーフィーらしいです。おなかは満たされたかな?
最期は私の腕の中で鳴き声をあげて逝ってしまいました。
がんばってえらかったね。ありがとうを何度も言いました。
死後硬直のあとはまた軟らかくなり、子どもの頃のほわほわ感でした。
いっぱい抱っこをしていっぱいお話しました。
お世話になった先生に電話をして報告とお礼をしました。
先生&スタッフの方、ありがとうございました。
グーフィーは病院嫌いだったけど、優しい先生だったよね、グーフィー・・・?
ネットでお友だちになった方々にもずっと応援してもらいました。
とても元気付けられ、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
楽になったグーフィーはあのやんちゃぶりを発揮して
みなさんのところへありがとうと挨拶にまわってると思います。

■グーフィーとお別れ

お別れは立合いでしたかったので、そのようにできるところへ依頼しました。
グーフィーに持たせたものはもちろん食べ物です。バナナ、ニンジン、サラダ菜、ペレット
牧草(嫌いだったけど天国ではちゃんと食べて奥歯を削るように)、
あとは誕生日に作ったクッキーを持たせました。バナナ1本食べていいんだよ、
喜んでおしりをピクピクさせてるグーフィーが見えます。
そして最近よくゴロンをしていたフリースを敷いてあげました。
きっと楽になったのでしょう・・・安らかな顔でまるで眠っているかのようでした。

私の元に返ってきたグーフィーは小さくなっていました。
頭の骨が大きかったグーフィーはうさぎさん用の骨壷では骨が壊れてしまうので、
いぬさん用の大きい骨壷にしてくれました。
手で骨を納めました。全部入れてあげないと天国で元気に遊べないんだよね。
爪もきれいに残っていました。
依頼した業者さんはどのようにしたらいいお別れができるか、きちんと考えていて、
火葬もいろいろ研究している方でした。
グーフィーを最初で最後に預ける人がいい人でよかったです。
空に昇っていく陽炎を見ながら天国でお友達いっぱいつくってねと願いました。
グーフィーは他のうさぎさんと会ったことがないので、ちゃんと仲間に入れるか心配です。
そして他のうさちゃんの食べ物を取らないか心配です。
自分だけ食べてないでみんなに分けてあげてね。

■旅立つグーフィーへ

家に帰ってきて「グーフィー、ただいま」と言っても姿がない・・・
急激に悲しく、淋しい瞬間です。
居て当たり前の存在になっていたグーフィーだったので、
なんともいえない淋しい気持ちになります。
四十九日は過ごした場所にいて旅立つので、いっぱいお話しなきゃね。
いつもみたいに知らん顔しないでお話聞いてね。
グーフィーは幸せだったかな?
ママはいっぱい幸せをもらいました。ありがとうを何回言っても言いきれないほど。
初めてのうさぎママ、グーフィーには十分なことをしてあげられなかったかもしれないけど、
グーフィーにはいっぱい教えてもらったことがあります。

    宝物だったグーフィー、これからもずっと宝物のグーフィー。
    グーフィーからもらった宝物大切にしていきます。
    かわいいグーフィー、大好きだったよ。

    グーフィー、心からありがとう・・・・

 

 

 



虹の橋のチャッピーへ(MACOさん)第18話

 

お友達はできたかな?
わがままで気が強くて頑固で、だけど人見知りで寂しがり屋さんでもあったから、ママはちょっと心配です。
でもあなたは本当はとてもやさしい子だから、きっと大丈夫ね。

大好きなヨーグルトドロップも、フルーツも、えん麦も、もう我慢しないでたくさん食べて良いんだよ。
好きなだけ走り回って良いんだよ。健康に戻れてよかったね。

あなたを病院に2日も預けてしまったこと、後悔しています。
やっぱり無理にでも連れて帰ると言い張ればよかった。
でもね、治って帰って来て欲しかったの。決して捨てたんじゃないよ?解ってくれてるよね?
ちょっと待たせてしまうかも知れないけど、ちゃんと待っててね。
パパとママはずっとチャッピーの事、愛してるよ。

 

 

 



ピーターへの手紙(Hanapy)第17話
 

メンバーのみなさんの心のこもったお悔やみの言葉、
ほんとうにありがとうございました。

はなちゃんの時は、ほんとに寂しい旅立ちでしたが、
ピーターは、こんなに大勢のメンバーさんに送られて、

虹の橋でも大勢のおともだちが待っていてくれて幸せうさぎです。

ピーターは、S先生より情けないが「今の状態では、
私の力では何もできない」と言われていました。

「でも、後悔だけはしないでくださいね。」と念をおされました。
いつも、メンバーさんに言っていることをS先生から言われるとは・・・・

そして、22日の月の綺麗な夜でした。
ピーターからのサインに気がついていました。
だから、「月に帰る時はHanapyに言ってね。」
とピーターの目をじっとみて、心のささやきを伝えてありました。
ずっと、それから側にいてあげました。
サインに気がついてから、約8時間後の11時05分に、
ピーターが「月に帰るね。」と言ったので、抱き上げました。
家族は、わからず「どうしたの?」とHanapyは、言おうとしたのに言葉に・・・
荒かった呼吸が、1秒間隔にそして2秒、3秒と・・・
そして、Hanapyをじ~っと見ながら、「ありがとう。さようなら。」と
心のささやきをHanapyに伝えてから、呼吸が止まりました。
し~んとした部屋に娘の号泣だけが、むなしく響きました。
ピーターの目から、Hanapyの涙の雫が、こぼれていました。

不思議なことといえば、はなちゃんは「ありがとう!」
って言ってくれました。(人間の言葉で)
ピーターは、Hanapyが体調が悪くて退職した翌日に月に帰りました。
偶然かもしれませんが、ほんとなら家にいない時間でした。
強がりだけど寂しがりやのピーターのことだから、
Hanapyのいる時を知って月に帰ったのかな?と思いました。
ひとりで月に行かないでという約束を守ったのでしょうね。
ピーター、虹の橋ではなちゃんといっしょに見守っていて下さいね。

 

 

 



ネコちゃんの想い出(cherryさん)第16話
 

6月22日(土)

昨夜から食いしん坊のララの食欲があまりなかった。
朝、やっぱり何も口にしていない。
水さえも飲んだ気配がない。オシッコをした様子もなく、
ウンチも1粒も落ちてない。さいとうラビットクリニックへ
連れて行く。9時開院の5分前に到着。すでに
6人待ち。朝はまったく動く気配がなかったけど、
待合室ではキャリー内に敷いたタオルをバリバリ掘りはじめ、
いつもの行動を見せた。
私の番がくる。先生に様子を話す。
体重を量ると1.7キロ。案の定痩せている。
血液検査の結果「慢性腎不全」と診断される。
「慢性は急性と違って進行も遅いけど、年齢的に
完治するかどうかはわからない」と説明された。
水分補給により、オシッコで毒素を排出するため
補液(?)を2本注射。嫌がって私に飛びつく。
「大丈夫だよ、すぐに終わるよ」
それから、日中点滴の為、ネコちゃんを病院に
預ける。これから毎日、日中点滴の為、病院に
来るよう言われる。
「4時頃迎えに来てください。何かあったら
電話します。」と先生。「点滴中に死んじゃうってこと
ないですよね?」「ないと思いますよ」
こうして私は一時帰宅。家について、携帯をすぐ
そばに置き、ネットで腎不全と闘うウサギの闘病日記などを
読んで、これからネコちゃんと一緒に病気と
闘う参考にする。友達から何度となくメールが
届くが、病院からの連絡はなし。
4時に病院へついて、受付で「ララを迎えに来ました」
と言うと、AHTの人が「先生からの留守電聞きました?」
「いいえ」「じゃあ、しばらくお待ち下さい」
待合室の椅子に座り、携帯の着信履歴をチエックするが
病院からのはない。留守電を聞いてみると、
先生から「ララちゃんの様態が変化したので、留守電聞いたらお電話下さい」
・・・11時21分だった。自宅にいた。友達からのメールを受信してたって
ことは電波は良かったはず。なんで着歴ないの?
胸騒ぎがした。名前が呼ばれ診察室に通される。
先生が3つあるドアを全部閉めた時点でなんとなく
予想はできた。そして先生が私に言った言葉が 今でも頭を離れない。
「申し訳ございません」
そして先生はネコちゃんが1時頃息を引き取ったと話してくれた。
「点滴中、動いたりしてたんですが、11時頃、容態が変化し、
12時頃オレンジ色の軟便をして、1時頃、
ビクッと1回痙攣して呼吸が止まりました。」
そうして、銀紙に包まれた軟便を見せてくれた。
それはウンチの色とはほど遠かった。
「今、ララちゃん連れてきますね」
ピンクの花柄のタオルに包まれたネコちゃんが先生に抱かれ私の目の前に。
「ララちゃんの腎不全はかなり悪いところまで進行しちゃってたんですね」
タオルをひらいてすぐネコちゃんの顔を見る。
目を少し開いたまま、体を伸ばし、手は幽霊の
手のような格好をしていた。
信じられない信じられない信じられない・・・
ネコちゃんはもう、少し冷たくなってた。
「点滴しないで家に連れて帰ってても同じことでした?」
「そうですね。でも、看取れた分、良かったかも・・・」
先生からの電話をちゃんと取ってたら看取れることができたのに・・・
なんで着歴が残ってなかっただろう・・・悔やんでならない。
悔やんでも悔やんでも、ネコちゃんは逝ってしまった。
1人で・・・。
「お役に立てなかったので、治療費は結構ですので」
お金なんていくらかかっても良かった。元気で家に帰る事ができるのなら。

タクシーに乗って家に帰った。
ニュウニュウにネコちゃんの死を報告。クンクン匂いを嗅いでいた
けど、あまり理解してないように見えた。
ネコちゃんのケージにアイスノンを置いてペットシーツを敷き、
その上にタオルにくるんだネコちゃんを寝かす。
体が完全に固まる前に、目を閉じさせた。

まだ現実だと理解できない。体さえもがそれを拒絶し、
嘔吐を繰り返す。
名前を呼んでは「嘘だよね?」と泣き続けた。

母親にも報告した。「可哀想に・・・。でも、お前は
頑張ったんだから。手を尽くしたんだから・・・」
私は頑張った?頑張るのはこれからのはずだった。
あれこれ後悔すると、なくなったペットが
「私はそんなに悪いことをしてしまったの?」と安心できないと
聞いたことがあるが、私のすべての行動が後悔するに
値してるように思えた。あの時あーしてればこうしてれば・・・
ネコちゃんごめんね・・・

2日後、火葬の日。この日は10年ほど前、この世を去った私の父の命日。
ネコちゃんが逝ってしまう前日、お墓参りに行って「ネコちゃんを助けて」
とあれほどお願いしたのに!父がネコちゃんを連れて行ってしまったに違いない。
今、私のそばにいるネコちゃんは小さな白い骨壷の中だけど、
私の心の中には父に抱かれたふわふわなネコちゃんがいる。楽しかったあの日々と
なんら変わりのないふわふわでおデブで可愛い姿ののままのネコちゃんが。

また会おうね。絶対だよ、一緒に遊ぼうね。虹の橋で待っててね。
大好きだよ。

最期の日、診察台で怖がって私に飛びついてきて時私の腕にできたネコちゃんの
爪跡がだんだん薄くなってきて、もうすぐ消えてしまう・・・

ミータンへの手紙(ミータンママより)第15話
 

うちのミータンは、5月30日の午前9時01分に旅立ちました。
その日は、本当ならば元気で退院する予定でした。
パパは、仕事を休み、ママは、一刻も早くミー(ミータン)に会いたくて、
ウズウズした朝でした。
遠くの病院で、道も不慣れだったこともあり、地図を片手に持ち、
早めに車で向かえに出発しました。お天気もよく、気持ちの良い朝でした。
車中では、「今晩はミーの退院祝いをしよう」とか、睾丸の摘出手術だったので
「ミーは、おかまちゃんになったんだね」などと、話していました。
ラジオから9時報が流れ、しばらくして、ママの携帯に電話が・・・・・。
「ミータンちゃんの様態が、急変したから、すぐに来て欲しい」と、
病院から連絡が入りました。ママは、泣きながらパパに、その事を伝えました。
パパは「大丈夫だよ、ミータンは・・・・」と、一言。
朝の渋滞と、不慣れな道、それに、焦りと苛立ち・・・・
その結果、幾度と道を間違えてしまいました。
一刻も早く、ミーのそばに行きたいのに行かれない、苛立ち・・そして、募る不安。

そんな中、やっと病院へ到着。待合室で待っていると、診察室の奥から
「ピッピッピッ・・・・」、ミーの心電図の音が聞こえてきました。
その時「あ~!!ミーは、生きている。」と、ママは思ってしまいました。
その後、ミーが待っている部屋へと・・・。ミーは、ベットに横たわり、
先生が、蘇生を施していました。
その光景を見て「もう、ダメだったんだ・・・間に合わなかったんだ」と、
感じました。ママは、ただ泣きながらミーの体を、なでることしか出来ずにいました。
その時、先生から、「突然、朝、バンバンと音がしたので、見てみると倒れていたと ・・」
「30分以上、蘇生を施していますが・・・・今は、肺からも出血してきているみた いだと・・・」
ミーの口元をみると、かすかに出血していました。
その時、他の入院しているワンちゃんの声が、聞こえてきました。
ママは、その時、ハッ!!としました。
そうでなくても臆病な子、まして、前の病院で犬に追いかけられたことが、
あったんだと・・。「なんで、入院なんかさせたんだろう・・・・
ミーは、怖くて、怖くて・・・それで、死んだんだ」
ママは自分自身を恨みました、一刻も早く、ここから帰してあげたい、
掃除したての、ミーの大好きなお家に帰ろうと思いました。
先生は、はっきりとした死因は不明だと、睾丸の腫瘍は、悪性なものではなく、
ホルモン異常からだろうと説明しました。
それを聞き、益々、入院させた事、手術をした事を後悔し、
どんなに、ミーが怖く不安で独りぼっちで、死んでいったか・・・。
「ミー、ごめんね、ごめんね・・」胸が張り裂けそうになりました。

帰りは、ただ、ミーの体をなでながら、泣きじゃくるしかありませんでした。
(パパも泣いていました)
ミーの大好きなお家に帰り、思いっきり抱きしめました。
前日は、元気だったのに・・・・・こんなことになるんだったら、
いっぱい、ご飯を食べさせれば良かった、
キャベツ、乾燥ニンジン、チモシー・・・・
もっと、ベランダで遊ばしてあげればよかった・・・・・
もっと、撫でてあげればよかった・・・・・
遠くても、術後に面会に行けばよかった・・・・
入院の際、別れ際に抱いてやればよかった・・・・
後悔の嵐でいっぱいになりました。
死んでしまったミーと、一緒に写真を撮りました。
ママが、ミーをギューと抱きしめた写真を、何枚も何枚も・・。
死んでしまったけども、ミーと、もっと一緒にいたかったし、
ひょっとして、生き返るかもと思い、火葬にするのを戸惑っていました。
でも、その間にも、ミーの体に変化が見られるようになりました。
キレイ好きなミーのことだから、きれいなうちに空に帰してあげようと・・・・。
体の変化のサインは「ママ、僕は、本当に死んじゃったよ」と、ミーが教えてくれて いる。
ミーは、独りぼっちで逝ってしまったので、
せめて、パパとママが二人揃って送ってあげたいと思いました。
霊園に、電話をして、その日の最終の時刻、5時30分に、お空に帰すことになりま した。
いよいよ、ミーが大好きなお家から、旅立たなければいけない時がきました。
ふっと、空を見ると、朝あんなにいい天気だったのが、
今にも、泣きそうな天気になっていました。お空も、悲しんでいるようでした。
ママの手作りの天国ゆきベットに、ミーを寝かせ、お気に入りのシーツを掛け、
ママの匂いがするハンカチ、ママが育てた花を一輪、フードをいっぱい入れました。
ミーの顔は、まだ、ただ眠っているようにしか見えませんでした。
とても、死んでしまったとは、思えませんでした・・。安らかな、優しい寝顔のようでした。

ミーとママとパパの家族での、最後のドライブになりました。
パパが「もっと、一緒に、この車でドライブすれば良かった・・・」と、いいました。
そうです、いつもミーは、お留守番でした。ママが出掛ける時、いつも、
ミーの頭を撫で「行って来るからね。待っててね。ミータン」と・・・・
帰宅すれば、一番にミーが待ってる部屋へ行きました。
ミーは、よほど眠い時以外は、ピョ~ンと後ろ足でジャンプしながら、
ママのそばに来てくれました。
頭を低くして、「撫でて~」のポーズ。撫でると、
目を閉じ「気持ちいいよ~」もう、それも出来なくなりました・・・。

そのうちに霊園に到着しました。(また、ここでも道に迷いました)
いよいよ、ミーとの最後のお別れになり、ママとパパがミーを撫でていた時、
突然、ミーの目が開きました。
顔を撫でていていたので、偶然だったのでしょうが・・・。
でも、ミーはママとパパの顔を、最後に、もう一度、見ておきたかったのでしょうね。
何十年か後に、虹の橋で、再会する時の為に・・・・。
きっと・・・。そうして、ミーは天に旅立ちました。
その直後、天からチラチラと、白いもの(灰)が降ってきました。
ミーが、天に昇って行くのが分かりました。
数十分後、ミーは小さな、小さな、骨になりました。
その姿を見ては、またまた泣いてしまいました。
ママとパパとで、ミーの小さな骨を骨壷に入れていきました。
二人で、ミーの全てを入れたつもりでしたが、霊園の人が、
「まだ、この子の爪があるよ」と、教えてくれました。
見ると、小さな爪が1コありました。
ママは「ミーからの贈り物」だと直感しました。
霊園の人が、この爪だけは、別のケースに入れてくれました。(今でも、感謝し てます。)
そして、まだ、ミーのぬくもりの感じられるような、小さく軽くなってしまったミー と帰りました。
どんなに過去に戻りたくっても、ダメなのに・・・ついつい・・・・・涙が、所かま わず溢れでます。
どうせ、こんなことになるのだったら、ミーを入院なんかさせずに、家に連れてかえ ればよかった。
同じ死ぬのなら、ママとパパに看取られながら、旅立たせてあげたかった・・・。
せめて、見舞いに行けばよかった。あの日、ミーと11時に別れて、
その後、そこを離れられずに、携帯を握って周辺をウロウロ・・・・・。
帰ってしまえば、手術中、なにかあってもすぐには、駆けつけられないから・・・・・心配で・・・
なにかあれば、ママの携帯に連絡が入る事になっていました。3時まで、病院の近くにいました。
病院からは、なにもないかぎりは連絡しないと聞いていたけど、ママは、心配で電話 をしました。
その時は、ミーの手術は無事に終了したと、麻酔からも覚めたから安心しての返事がありました。
ママは、また、安堵の涙を流し、パパと実家の母にメールをしました。
皆で、安心して、明日、ミーに会えると確信していたのに・・・・・。
悔やまれます。自分の判断に、怒りを感じています。
取り返しのつかないことをしました。
もしかして、手術をしなくてもよい病気だったりして・・・・・ミーごめんね。
なんて、ひどいママなんでしょう。
その事を考えると、居ても立っても、居られません。

今、思い返せば、ママがパートを5月10日で、退職することに決めた矢先の
4月20日から、ミーは体調を崩しました。
前の病院では、睾丸腫瘍のよる肺転移と診断を受け、最悪の場合、連休中もしくは、 明けまでは・・・・。
でも、望みを託して、一日おきに、病院に通いました。
皮下点滴、ステロイドの筋肉注射、そして、ミーのもっとも嫌いな飲み薬・・・。
ミーは、本当に、がんばったね。
ママは、いつも午前中のパートが終わり、帰宅するとき、もしミーが冷たくなってい たらと、
考えてしまい、胸が締め付けられる思いでした。
緊張しながら、ミーの元へ行き、丸くうずくまっているミーだけど、その姿をみて、 ほっ!!としました。
ミーは5月の連休も、なんとか、乗り越えました。
この時に、ママは5月10日退職するまでは、絶対に、ミーを守ると決意しました。
これは、最悪の事態になっても、ミーを独りでは逝かしたくない、
せめて、ママが、傍にいてあげたかったから・・・。
天に祈りが通じたのか、この頃から、除々に、ミーは食欲を取り戻してきました。
そして、りっぱな「うんち」も、しました。
これなら、大丈夫!!今度の、5月17日のママの誕生日に、
ミーとママ、パパで絶対に過ごそうと決心しました。
念願が叶い、皆で誕生日を祝うことが出来ました。
ママにとっての最大なるプレゼントは、ミーがいてくれることでした。
他に、何もいりませんでした。
その後、病院にラビットフードをもらいに行ったとき、ミーの様子を先生に聞かれ、
「食欲もあり、活発にしてきています」と、言うと、先生は、
「良かったです」と言われました。その時、ママには先生が「なんでかな?」と、
ミーが、元気になってきていることが、不思議に感じていると思いました。
実は、ママもミーの回復ぶりをみて、本当に癌なのか疑問に感じていました。
その先生の態度を見て、もっと、うさぎさんの事を、理解している病院を探そうと思いました。
でも、なかなか、近所で納得のいく所がなく、ミーには、負担になるかもしれないけ ども、
少し遠い、ある病院をネットで探し、受診することにしました。

そこは、完全予約制だったので、何時間も待たされることなく、すぐに、診察しても らう事が出来ました。
診察室では、一番に、ミーをバックから出し、自由に遊ばせながら、今までの経過を 話していきました。
その間、ミーは前の病院の時とは違い、ピョンピョンは跳ねては、あちこちを、ツン ツンと探索していました。
左の睾丸の腫れよりも、むしろ、右睾丸の萎縮の方が心配だから、手術して組織検査 をする事を勧められました。
日帰りでも出来る手術だけど、遠い為、何かあった時に困るから、入院することにな りました。
こちらの先生方、スタッフの方、本当に、ミーの治療に精一杯、努力して頂きまし た。
こちらの、病院を選んだ事は、後悔していません。
一番、悔やまれることは、ママが入院させてしまった事です。
なんで、日帰りにしなかったのだろ・・・手術直後、帰宅させるのが心配だったら、
夜の8時でも9時でもいいから、その日のうちに帰宅するようにすれば、よかった・ ・・。
ミーの性格を、一番、よく知っているはママなのに・・・・・。
なんで、怖がりのミーを入院させてしまったんだろう・・・。
ごめんね、ミータン・・・。
最後に、辛い思いをさせたけど、ママは、ミーのこと「愛している」からね。
それだけは、わかってね。
ミーが、体調を崩してから、ママも辛く苦しみました。でも、その40日の間に、
益々、ミーとママの信頼関係が、固くなった事を確信しました。
もっと、もっと、一緒にいたかった・・・。ミーの事、最後まで守れずに、ごめんね ・・。
ミーは、本当に、よく頑張りましたね。でもね、ミー、後、30~40分でママに会え たのに・・・・。
でも、ミーは、限界を超えるまで、頑張ったんだから、今更、そんなことを言っては いけないね。
ただ、どんな気持ちで死んで逝ったかを、考えると、胸が苦しくなります・・。
ミーは「ママに捨てられてた」と、思っていないか?
きっと「ママ、ママ、怖いよ。ママ、何処にいるの?
向かえに来て・・・」と、思いながら・・・・。大好きなミーの事、ママは見放した
りするものですか!!ミーのこと「愛しているからね」わかっているよね・・・。

ミーから、ママへのプレゼント、肌身はなさず持っているからね。
外出する時、寝ている時も・・・・。これからは、いつも、ママと一緒だから、
もう、何にも、怖がることは無いからね。安心してね。
愛するミータン、ママは、ミーに巡り会えて、本当に、良かったよ。
優しい気持ち、幸せな気持ち、そして、頑張る気持ちを、有難う。
ママが「虹の橋」に行くまで、皆と幸せにしていて、待っていてね。
ママの事、忘れてはだめだぞ!!


 ママのミータンへ

 

 

 



美兎ちゃんの想い出(れなさん)(第14話)
 

美兎が亡くなりました。

うちに来て、たった2週間でした。
でも、パパとママと兎月と丸兎にとって、最高に幸せな2週間でした。

1時間前に覗いた時には、普通でした。
でも、その次に見たら、もう横たわっていました。
兎月と丸兎は並んで、だまって美兎を見つめていました。
れなは必死に心臓マッサージをしたけど、もう動かなかった。
兎月と丸兎にお別れをさせようとして、2匹が美兎をクンクンしたら、2・3回ビクビクってした。
あわてて人工呼吸と心臓マッサージをしたけど、やっぱり動かなかった。
それでも救急病院に連れて行こうとダーと2人でタクシーに乗った。
ずっと心肺蘇生をしてたけど、もう動かなかった。
病院に向かうと決めた時から、もう死んでる事は皆知ってた。

それでも、諦めきれなかった。


れなはずっと泣いてて、家に帰ってきてからも泣いてて、
寝ると美兎が生き返った夢を見て、嬉しくて、
起きて美兎を見るとやっぱり動いてなかった。
そんな事を何度も繰り返してた。

外傷も何もなくて、何で死んだのか分からなかった。

美兎は、兎月と丸兎の小屋に入れるようになった。
木の小屋の上にも登れるようになった。
薬だって自分で飲めた。

ミミ、美兎ちゃんにお家に帰るように言って。
ずっとそうつぶやいてたのに、美兎は戻ってこなかった。

きっと、兎月と丸兎のおなかの下に顔をうずめるのが好きだったから、
虹の橋でミミのお腹に顔をうずめて、ミミがどんなに説得してもきかなかったんだと思う。
ミミ、美兎の事、よろしくね。
れなとダーと兎月と丸兎が虹の橋に行く時まで、
面倒見てあげて。
自分じゃ草を取れないと思うから、ちぎって取ってあげてね。
まだ、トイレも覚えてないから、教えてあげてね。
面倒かけるけど、ミミがいてくれると思うから、れなは少し安心してるんだよ。


美兎、痛くなかった?苦しくなかった?
幸せだった?


1月10日。

昨日、美兎を火葬してきました。
美兎の1匹前に火葬されたコが、13年生きたうさぎさんだったそうです。
ダーと「美兎は13年も生きたうさぎさんと虹の橋に行けるんだから、迷子にならないね」
と話しました。
「ジーチャン、こっち~~?」「こりゃ、美兎ちゃん、虹の橋はこっちじゃよ~」
なんてはしゃいじゃってるんじゃないかな。

それに、ルイさんちのるいちゃんとhanapyさんちのはなちゃんが、
美兎を途中まで迎えに来てくれてます。
虹の橋ではSUZUさんちのリリィちゃんとピュアちゃんが待っててくれてるし。
それに、capucapuさんちのハッピーちゃんは同じくらいの年だから、きっと仲良く遊んでるよね。

もちろん、ミミだって美兎をかわいがってくれてるはずだもん。
美兎、ミミや皆に迷惑かけちゃだめだよ~。
ママとパパと兎月と丸兎が行くまで、いいこにしてるんだよ。

れなとダーが一番心配していた事。
小さな美兎が、たった1匹で寂しくしてるんじゃないかって。
寂しくて寂しくて、泣いてるんじゃないかって。
だけど、美兎を迎えてくれるうさぎさんがこんなにたくさんいる。
美兎、楽しくてママ達の事忘れて遊んでるんじゃないかしら?
きっと、皆と仲良く遊んだりして楽しくやってるよね。
そう思っています。


 

 



パンダちゃんの想い出(キッチュさん)(第13話)

 

1月27日、我が家のパンダちゃんが月へ帰ってしまいました。
1月10日に我が家に来て、来たときから鼻の周りも汚れていて、
お腹や手足も汚れていて、数珠状のフンをしていました。
それでも元気にエサを食べて、先住うさちゃんをお母さんだと思って、
後をくっついたりしていました。
我が家に来て一週間くらいで下痢をするようになり、病院にも連れていきましたが、
「なんともない。」と言われ、整腸剤だけ飲ませていました。

死ぬ前の日の朝は、いつもより元気に駆け回り、エサももりもり食べていました。
夜、また下痢をしたのですが、いつものようにお尻を拭いてやると、
小さな歯を出して、にっこり笑ったような顔をしていました。
ケージの中でもゴロンと伸びていたので、主人が、
「パンダちゃん、空飛んで行きそうなポーズやなぁ。」と冗談で言いました。
私も、「ホントだ。可愛いね。」と微笑んでいました。
明け方、タバコを買いに行こうとパンダちゃんの様子を見ると、
その時はいつものようにちょこんと座っていました。
しかし、戻ってくると、既に手で体を支えることも出来ず、
顔も上げられない状態でした。
私たちの目の前でみるみる弱っていき、最後まで立ち上がろうとしながら、息を引き取りました。
あんなに苦しんでいたのに、最後はにっこり笑顔に見えました。

目を閉じると、パンダちゃんがにっこり笑顔で、
ピューンと月まで飛んでいく姿が目に浮かびます。
先住のうさちゃんは、パンダちゃんがいなくなってから、
ゴロンと横になって寂しそうな顔をしていたり、パンダちゃんの姿を探してウロウロしていることが多くなりました。
最後に何もしてあげられなかったことが凄く辛いです。
今も目を閉じると涙が出てきます。

私たち夫婦の元には、来年の夏赤ちゃんが産まれます。
パンダちゃんが私たちの子供に生まれ変わってくれないかな、と祈る日々です。
それまで私と、主人と、うさちゃんと3人で待っているからね。
(キッチュさんwrote)

 

 

 



ジンと過ごした日々・・・(Yoshikiさん)(第12話)
 

<2001年6月24日>
朝、起きてジンのご飯をあげる。何か、顔がひどく右に傾いていた・・・。
「これは、大変だ!!病院へ至急連絡を取る。」
この時の、病院選択の後悔が今も傷として残っています。

私「ウサギ診れますか?」
医者「大丈夫ですよ♪」
私「至急連れて行きます。」

ジンを、病院へ連れて行って、何をされるのかと思っていたら、いきなり注射・・・ 8本。

大丈夫かなと思っていたら、
医者「明日も、来てくださいね。」

この時は、何も解らなかったので従うほかに方法がありませんでした。

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数日後・・・

ジンの様態が急変し、ひどく側転を繰り返すようになりました。
とても、見ていられなかったのでゲージに私が入り、ジンを手で触りながら、夜が何日か明けました。

これでは、いけないと自分に言い聞かせ、ネットでウサギの病気を閲覧し、
うさぎを診てくれる病院を探し見つけました。
そこは、獣医さんが4人居て、小動物専門の先生がいました。

そこに、ジンを連れて行き 即、血液検査、レントゲン色々と処置をして戴きまし た。
その結果、肝臓を抗生物質でやられていると、診断されました。
思えば、前の病院で注射8本、あれが原因だったと、悔しさと怒りとで我を失うほどでした。

医者「即入院です!!」

涙が止りませんでした。どうなるんだろう・・・。
それから、私の毎日が、会社と病院の通院が日課となり、3週間後、
無事退院をしましたが、ジンは筋肉の殆どを失っていました。

医者「うさぎさんは、胃で消化した物を血液に流して、肝臓でタンパク質にするんで すが、
ジン君は、肝臓がやられているので・・・糖に変えることが出来ないんです。」

またまた、暗雲が頭の上に降りかかってきました。
色々と考えた末、思いついたのが、流動食とポカリスェット飲料でした。
流動食に、ポカリを加えて飲ませます。後、小松菜、サラダ菜を加えてできあがり。

これを与え続けた結果、肝臓は機能を回復し、ジンは私が起こしてやると、座るまで に回復しました。
但し、寝たきりが続いたので、結膜炎治療、床ヅレ治療、耳治療を平行し行ってやり ました。

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<2002年1月1日>
ジンが、目を瞑ったまま眠るようになったんです。今まで、警戒心が強かったのか、
目を常に開けて寝ていたんですが・・・。
後、ジンの先祖を祭った遺牌が倒れてたのを、覚えています。今思えば、これが忠告 だったのかと・・・。

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<2002年1月12日>
朝ご飯を、もりもり食べるジンくん。
「それでは、行って来るね~」と言って、仕事に向かいました。

帰宅すると、ジンの元気がありません。
「ど・・どした?ジン・・ご飯食べないと。」
無理矢理でも、食べさそうと口に押し込むけど、食べてくれない。
まさか、血糖値が下がったのか・・・いや、肝臓は治ったはず・・・。
頭の中を、ぐるぐると疑問が湧き出ては消え・・の繰り返しでした。

早急に、車を走らせ病院へ行き、容態を説明した。

医者「今日は、ジンくんを預かります。」
医者「明日は、帰せないかもしれません。」
この時、私は落ち着いてました。
「きっと、大したこと無い・・・。」
そう、自分に言い聞かせていたのかもしれません。ジンは2度危篤から立ち直った事 があるウサギだ
・・・そう言った、自信もあったのかもしれません。

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<2002年1月13日>
朝、私が寝ていると、嫁が2階へ上がってきた。
私を、激しく揺さぶる・・・。
「どしたの?」
ゆっくりと、目を開けると、そこには泣きじゃくった妻の顔がありました。
「ジンが・・・」私は、そこから言葉に出来ませんでした。

その後、ジンを病院から連れ帰り、動物霊園で祭って戴くことになりました。

今思えば、長い闘病生活だったけど、ジンは幸せだったのかもしれません。

私達夫婦には、子供がいないので、常に、ジンが息子でありました。

今は、新たな息子が出来ました。
今は、ジンと比較してしまいますが、ジンの分も生きて欲しい・・・そう願って止み ません。

長々と、書き綴り、申し訳ありませんでした。

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みるくくんの想い出(ゆいさん)(第11話)
 

5月16日(火)

病院が水曜日休みの為、薬の追加を貰いに行く。
バイトから帰り、午前10時30分頃みるくに2度目の食事をさせ、出掛けた。
呼吸は正常。体も揺れていない。食べ終えた後、眠そうに体を伸ばしていた。
午後2時頃までに帰宅して、お昼を食べさせようと思っていたのだけど、
出掛けついでにと色々まわって必要なものを買い、帰宅したのは午後3時過ぎ。
疲れていた為か、ささいな事で口論になってしまった。
30分くらい言い合いをして、みるくにゴハンを食べさせようと頭を切り替える。
ウンチをした上に座っていたので、お腹の毛にウンチが少しだけ付いていた。
気になって取ってやっていたのだが、様子がおかしい。お腹をさわられているのに、足が動かない。
鼻もピクピクしていない。声をかけたが反応がない。呼吸が止まっていた。
なんで? 頭はパニック状態。
ケンカになって言い合いを始める前までは、確かに息をしていたのに。
帰って、ただいまを言った時は鼻もピクピクしていたし、耳も反応していた。
とっさに鼻と口に息を吹き込む。心臓をマッサージしながら大声で名前を叫んだ。
しばらく続けていると、みるくが瞬きをした。口も開口呼吸を始めた。
何度も何度も名前を呼んで、体をなでてやる。
名前に反応するように瞬きをくり返し、必死に呼吸しようとしている。だけど。
何度目かの呼吸の後、そのまま息をしなくなってしまった。午後4時だった。
もっと早く帰って来てあげればよかった。
口論なんかしていないで、ゴハンを食べさせてあげればよかった。
怒鳴り声なんか聞かせないで、明るい笑い声を聞かせてあげればよかった。
みるくはきっと帰りを待っていたのだと思う。
顔を見て安心して、口論を聞いてケンカの仲裁の為、身を引いてしまったような気がしてならない。
どんなに早く帰って来ていても、もう食べられなかったかもしれないけど、
もう一度何か食べさせてあげたかった。
みるくにふれた時、まだ温かくて一度呼吸が止まったのも、我々の顔を見た後だとわかった。
いつもいつも、逝く時は黙って逝かないで、腕の中で逝ってね、
と言い聞かせていたから。約束していたから。
日に日に呼吸が穏やかになっていったのは、回復していたんじゃなくて心臓が段々弱っていったからだった。
担当の獣医さんに電話し、状況を説明すると「老衰の死に方に似ている。」と言われた。
心臓の状態から言って、いつ肺水症や肺血症が起こって呼吸困難で死んでもおかしくなかったそうだ。
まして、食事したりちゃんとウンチやオシッコが出る、なんて事はなかなかないらしい。
ただ、心臓については麻酔による負担が大きかった事は確かで、
先生は自分が麻酔を打ったからだと、何度も謝ってくれた。

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呼吸困難の子が食事をするという事は、物凄く辛い事だそうだ。
少なくともみるくは、自分が死ぬなんて考えてもみなかったと思う。
一生懸命食べて、回復しようとしていたもの。
麻酔さえ打たなければ、あるいはまだ長生きできたかも、なんて少しだけ考えた。
でも、奥歯の不正咬合が辛くて痛くて、
物凄いストレスを抱えて生きていく事になったかと思うと、これで良かったんだと思える。
早かれ遅かれ、心臓が弱っていって死ぬ運命だったと思うし。延命は人間のエゴの場合もある。
苦痛に耐えながら生きていて欲しくない。
幸せで、おいしいものが食べられて、何の心配もなく最後を迎えられたら、
それが動物にとって一番幸せなんだと思いたい。
今はみるくが、独り寂しく苦しみながら死ななくてよかったと思う。
約束通り、二人に見とられて逝ってくれたから。
あとは、もう一つの約束を果たしてもらうだけ。

「もう一度、うちに帰っておいで。」

この約束は、2日後果たされる事になる。ごめんね、みるく。もっとそばにいてね。

これからウサギを飼われる方は、絶対に葉野菜や牧草を与えて下さい。
奥歯が不正咬合にならない為に。
そして、その子がどんな状態になっても、最後まで諦めないで面倒を見てあげて下さい。
幸せになる為に来てくれるんですから.....。

2000年5月16日午後4時みるくが永眠した。8才7ヶ月だった。


冬中愛用していた犬猫用のクッション(椅子みたいな)にみるくを横たえ、口元に少しだけ水を含ませてやる。
お腹が空かないように、大好きだったバナナとペレット、オヤツなどをまわりに置いた。
カナタが洗い髪をふいたタオルを体にかけてあげる。
みるくはリンスのニオイのするタオルが大好きだったから。
すぐ遺体を片付けないで、一晩は安置しようと話した。
眠っているような姿を見ていると、まだ起き出してくるような気がする。



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翌17日早朝、泣き腫らして目が腫れてしまったカナタを休ませ、ヒロキだけバイトに出掛けた。
とても仕事などできる心境ではなかったが、急すぎて二人一緒には休むなんてできない。
午前10時帰宅。キョウとひいろをみるくに引き会わせる。家族だけの御葬式。
キョウはみるくをじっと見ていた。同じ1991年に我が家に来て、
ずっと一緒だった事を覚えているのかもしれない。
ひいろは何だかよくわからない、という顔をしていた。



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17日午後、ホームセンターへ土とプランターを買いに出掛ける。
カートを持参したのだが、想像以上に土は重かった。二袋で40キロくらいだろうか。
とても持って歩けない。
二人で交互にカートを引き、これがみるくにしてやれる最後の仕事だと思い、必死に駅まで歩いた。
結局どうにもならなくなったので、タクシーを拾い家まで走った。



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ベランダでプランターに土を入れ始める。
中央部分くらいまで土を入れ、その上にみるくを安置した。
お花を千切ってまわりに置き、オヤツを少しだけ入れてあげた。
最後のお別れを言って、みるくの体に土をかける。
プランターの上まで全部土を入れ終えた時、突然突風が吹き、天に舞い上がった。
二人で顔を見合わせ、空を見る。
ああ、逝ってしまったんだな....と感じた。
時間は午後4時。みるくが息を引き取って、ちょうど24時間経った瞬間だった。
自分の体を埋葬してもらっているところを、見ていたのかもしれないと思った。
もうどこにもみるくの気配を感じない。
涙が溢れて止まらなかった。帰って来て欲しいと、心から切望した。



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翌18日早朝、もういないはずのみるくのスタンピングが聞こえた。
二人で同時に聞いたから間違いない。
なにか、急かされているような感じがした。
ミニウサギの子供を求め、お店に向かう。うさぎはみるくだけでいいと思っていたのに。
新しい子を買う気などなかったのに。
沢山いるウサギの中で、仲間を踏み付け跳ねている子に目が止まった。
最初に出会った時のみるくに、行動がそっくりだった。
その子を購入し、家に着くと午後4時だった。
どうしてだろう、午後4時という時間が偶然とは思えない。
何の気なしに、色もみるくと全然違ううさぎの子に、「みるく」と声を掛けてみた。
耳をこちらに向け、振り向く姿がそこにあった。
おかえり、みるく。会いたかったよ。


本当にみるくが新しい元気な体で帰って来たと、信じてます。
実は一度突風が吹いた後、しばらくしてもう一度突風が吹いたんです。
あんまり泣いているので、心配になったみるくがマッハで帰って来てしまったと、
今さらながら申し訳ない事をしたと思ってます。
もしかしたら次はウサギじゃなくて、違うものに生まれる予定だったかもしれないのに。
こんな話、信じてもらえるかわかりませんが、我々は信じてます

 

 

 


おはぎちゃんの想い出(まるぷりんさん)(第10話)

ペットを愛するみなさまへ

飼い主さん 診察室について行って下さい。

獣医さん 飼い主さんも連れて行って下さい。


 

 

 

 


ミントちゃんの想い出(るるどさん)(第9話)


ミントが逝ってしまって・・・

とにかく辛かった。

悲しくて悲しくて泣く事しか出来なかった。

悲しみと共に後悔が襲って来て

楽しかった事よりも

最後の2日間しか思い出せなくて。

前の日の朝とっても元気だった。

福耳によじ登って、バナナを一緒に食べてた。

その後るるどのトコに来て

いっぱい、いっぱい・・・・

しつこい位に顔を舐めてくれた。


そして次の日・・・・


悲しみと後悔は怒りへと変わり・・・・・


そして最後に埋めようもない寂しさがやってくる・・・・・


『子供と思ってるンでしょ』って言う人がいるけど

人間とは全然違う。

人間は裏切る。

親子でも夫婦でも、友達でも・・・

でもミントは絶対裏切らない。

どんなるるどでも100%で受け入れて、100%で愛してくれた。

そばにいるだけで癒される・・・
神様の贈り物。

ミントはとっても多くの人に見送られ

たくさんの愛情を携えて旅立って行きました。

辛い最後にまで、るるどにたくさんの友達を残して・・・・・

怒りや悲しみや、いつまでも泣く事

それを否定する事なく

一緒に泣いてくれた多くの人たち

その愛情の上に

死を受け入れる事が出来る、るるどがあるのです。

今悲しんでいる人は、たくさん泣いてください。

涙が枯れる事はなくても

それはそれでいいと思います。

でもきっとまた・・・

必ず会えます。

この寓話を教えてくれた友達と

支えてくれた多くの友達に感謝して・・・・・

「最後のひと声」


自分の無知や不注意からの

悔やむべき死もあるけど

たいていは人間の力の及ばないところで起きてしまう。


それでも

あの時こうしていれば・・

あの時の判断が・・・

もっと早く気づいてあげれば・・・


悔やんでも悔やんでも悔やみきれない思いが

大きな傷として残ってしまう。


そして言葉にも出来ない悲しみが

いっそう傷口を悪化させてしまう。


『最後に辛そうに声をあげた』って

誰にも言えない人が、いっぱいいるハズ。

るるども、お友だちのうさ飼いさんもそうだった。


死しかないのならせめて苦しまず

辛くないように手を尽くしたい。

でも何にも出来なかった。


あの叫びは

自分の大きな落ち度のような気がした。


ミントはね、抱かれていたけど

腕から逃げたがっていたの。

いつものように、何か要求する時のしぐさで

るるどの胸をカリカリとかいたの。


それで降ろしてあげたけど

どこに行っても落ち着けないの。


すぐそばにある死と、そのミントの姿が悲しくて

ホントに辛かった。


でも最後にるるどの腕で

ひとつ声をあげて、逝ってしまった。


抱き上げたコトがホントに良かったのか・・・

るるどのわがままだったんじゃないだろうか・・・

ずっと心のどこかが痛んだままだった。


でも『死』ってそういうもの・・・って今は思う。

誰だって痛みがあったり不安だったりする時は

落ち着いてなんていられない。


たとえどんなに好きな人に抱かれても・・・

TVのなかの作られた死ではなくて

きっとそれが現実。


最後に声を上げたのは

地上の衣を脱ぐときの衣擦れかもしれない・・・

それとも

虹の橋に生まれ落ちる産声かも・・・


今は、そう思える。

 

 

 



chachaちゃんの想い出(第8話)

 

chachaは自由になったからかすぐに私の側へよって来る。
行くとこ行くとこついて来る...可愛いものだ!
お客さんなんて来たらすっ飛んでって、くんくん臭いを嗅ぎまくる
愛嬌たっぷりのchachaだった!夏は暑いからとカーテンで涼しくしてあげ...
冬は寒いからと周りを毛布...段ボール...ビニールシートで囲み...
部屋の中にもまた、もう一つ部屋を作ってあげた...
雪の降る中...好奇心からか雪の上を歩くが...寒いのかすっ飛んで部屋へ戻ってた!
chachaを飼いはじめてから、はや6年が経過しました。ある日の事です。
chachaはなんとなくしんどそうだった!今まで一度も病気をしなかったのに...
病院行こうか迷っててchachaの側へ行くと2階から飛び下りて来たので
なんだ~大丈夫なんだな!そう思ってた...餌も食べてたし...でも...
1999.7.29の夜中の2時頃...なんとなく胸騒ぎが...chachaの元へ駆け寄った私は
びっくりしてしまった!chachaが苦しそうに倒れてる!横たわってる!

chacha...呼んでも起きない!何度も何度も繰り返しchacha...と呼ぶ...
何時もなら呼ぶ前に私の顔を見るだけで近寄って来るのに...涙がポロリ!
息もしてないが...まだ、暖かった...胸騒ぎ...chachaが知らせてくれたのかな?
暖かいって事は死んで間もないのだろう...chacha~chacha~子供達と泣いてしまった。
私はchachaが冷たくならないように布でくるんで抱きかかえた...ずっと抱いてた!
chachaの暖かさが私に伝わって来る感じがしました。まだ生きてるって信じたい!
数時間後...夜があけようとした頃...chachaの体は完全に硬直してしまいました。
ほんとに死んじゃったんだ!凄く悲しかった...犬のsinもchachaをぺろぺろ舐めて...
なんか凄く悲し気な表情だった!わかってるんだね...
最後にchachaをぎゅっと抱き締めてお別れする事に...何度も何度も頭を撫でながら...
また...生まれ変わっても会おうね!なんて呟きながら...

by chacha2k



 

 

 


ひまわりちゃんの想い出(第7話)


28日の深夜2時半頃...突然の下痢が始まりました
すぐに病院へ電話して診察していただけることになり
病院へ向かいました...。

検査の結果...ひまわりの下痢の原因は
「コクシジウム」でした...。
ドクターから突然倒れることや急死する
可能性が高いですから、覚悟はしてくださいと
告知されました...。
*******************************
生後1ヵ月半の小さなひまわりにとって
「コクシジウム」がどれほど致命的なものなのか
私も知っています...。
体重400グラムの小さなひまわりは
痛い点滴も苦いお薬も頑張って飲みました...。

朝になったらまた診察していただくことに決まり
ひまわりを連れて帰ったのが午前4時...。
*******************************
家に帰ってからも水のようなドロドロの下痢は
なかなかおさまらず...小さなひまわりの
お尻をふきながら時間が過ぎました...。
午前6時くらいにようやく下痢はおさまりましたが
ひまわりの動きがだんだんと
少なくなってきたように思いました...。

大好きな牧草は食べられず...
お水を少しずつ飲んでいたひまわりです...。
*******************************
午前8時すぎ...ひまわりはお水を飲もうとして
器に前足をつけてしまいました...
でも...もうその前足を器から出す力がありません...
また病院へ電話して診察していただくことになり
用意をしてひまわりを病院へ...
夜中に診ていただいた病院はピーがお世話になっていた
病院の本院にあたるところでした...。
朝になりひまわりを連れていったのは
その病院の分院にあたる病院です...。
分院はピーが2度入院して...
元気になって退院したことがある病院なので、
分院の方へ連れていきました...。
*******************************
車の中では、体勢を変えたりして動いていたのに
病院へ着いてから診察してもらうのを待っていた
ほんの5分ほどの間に倒れました...。
あわてて看護婦さんに今すぐ診てくださいとお願いしました...。
*******************************
私の目から見ても...ひまわりの瞳には
光がなく...昏睡状態に陥ったことがわかりました...。
ドクターが診察して、ひまわりの状態があまりにも
悪いことで...点滴と体の保温...酸素の吸入の
治療が始まりました...。

痙攣を起こして今にも呼吸が止まりそうな
ひまわりの姿は...今も私の心の中に
深く残っています...。
*******************************
ひまわりが治療を受けている間...
ドクターからお話がありました...。

「たぶん...助からないと思ってください
こんなに小さいうちにコクシジウムにかかると
生存率は低くなります...最前のことはします
今日と明日、持ってくれれば
大丈夫だとは思いますが、望みは少ないです」

この会話のときに...ドクターが
2年以上も前に入院していたピーのことを
覚えていてくださったみたいで
私に「ピーちゃんは?」と尋ねてこられました...。
ピーのことを話すのも辛かった...。

ドクターの言葉は
私の耳に悲しく聞こえてきます...。
*******************************
とりあえず入院することになり...何かあれば
すぐに連絡をくれるということで
一度病院を離れることになりました...。

病院の外に出て...車に乗っても...
すぐに車を動かすことができませんした...。
涙で目の前が見えなかったんです...。
しばらく車を動かさずにその場にいました...。
*******************************
ようやく家に戻ろうとして車を走らせると
しばらくして携帯が鳴りました...。
病院の看護婦さんからの電話で
「ひまわりちゃんの呼吸が止まりました
今すぐ戻ってきていただけますか」
あわてて病院へ戻りひまわりの元へ...
*******************************
心臓マッサージを受けているひまわりの姿が
私の目の前にありました...。

ドクターの手が止まり...ひまわりの命が
消えたことがわかりました...。
午前9時10分...ひまわりはピーのいる
空の国へと旅立ちました...。
*******************************
しばらく受付で待っていることになりましたが
他の患者さんを見るのも辛かった...
病気で連れてこられているのはわかっているけれど
今の私には他の子たちが健康に見えて
悲しかったんです...。
*******************************
もう一度...診察室へ呼ばれました...。
ピーの眠っていた棺の小さいサイズの棺の中に
小さな体のひまわりが横たわっていました...。

ピーが2度入院したときにずっとお世話に
なっていたドクターでした...。
夜中じゃなければ...このドクターに最初から
診ていただけていたらと...
何度思ったことかわかりません...。
*******************************
家に連れて戻って...ひまわりの小さな体を
キレイに洗ってあげました...。
毛がふわふわしていただけで...
濡れたひまわりの体は...
こんなにも小さかったんだと...。

泣いても泣いてもひまわりは戻ってきません...
あまりにも早すぎるひまわりの最後でした...。
pipia

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ウッキーについて(第6話)

 

ここにウッキーの事を語らせていただきます。

彼女は~7/12までを生きました。
~の前が存在しないのは死を迎えた時、彼女が何歳であったか自分は知らないからです。
おかしいと思う方もいるでしょう。しかし本当に知る事ができなかったのです。
ウッキーは本来うちの子ではありませんでした。
父親の知り合いが預かってほしいとうちに置いていった子でした。
一度は自分の下を離れ飼い主の元に戻りましたが、
見合いをしたオスうさぎに噛まれたと言う事でまた自分の家に帰ってきたのです。
この時も、いつかは飼い主の元に戻るはずでした。
現に預かってほしいと言われただけなのです。
しかし、飼い主は引取りに来ず、父親もその方と疎遠になり帰すという事ができなくなっていきました。
そして、気づけば我が家の一員と化していたのです。
最初に預かった日、それもおぼろげで確かな時期が言えません。
また、預かった当初から、それなりに大きく子うさぎではありませんでした。
なので正確な年がわからないのです。
ただ、写真に95年の頃のものがあり、その写真の時にはもう大きくなっていた事からおよそ、
7年以上を生きているだろうと仮定しています。
もしかすると10年近く生きていたのかもしれません。
そのことから回りは「寿命」だと言います。
しかし自分は寿命ではないと思っています。
確かに亡くなる少し前はあまり元気がなくいつも休んでいました。
だからと言って寿命だったと決め付けたくないのです。
彼女は元気でした。ちょっと病気にかかり体力が落ちていたかもしれません。
でも、元気でした。
彼女が死んだのはすべて自分の責任です。
そばにいながら、もっとも彼女のそばにいながら
彼女の身に起きている事にまったく気付いてやれなかった自分の責任なのです。
これは自分を責めてるわけでなく、本当の事です。
なくなる前日、前々日かかりつけの病院に行きました。
前々日の時、脱水症状に近い状態になってるとはじめて聞かされました。
この時自分はまったく気づいていませんでした。
そばにいながら彼女が苦しんでいたのに気づかなかったのです。
そして、次の日元々血尿が出るからと再度病院に行き、そして帰宅。
翌日、この世を去ることになりました。
最後の時を思い出せば今でも涙が出ます。確かに苦しんでいたのです。
ゲージのすぐそばで昼寝をしようと布団をひき隣でうとうとしはじめた頃、
ガシャンと言う音と共に彼女が置いてある氷水を倒し横たわりました。
心配でよく見ると口をパクパク開けて苦しそうでした。
どうにかしたくて抱き起こし抱きしめてやると
まだおなかが動いていたので「大丈夫だ、大丈夫だ」と自分に言い聞かせていました。
しかし、ふと、おなかの動きが止まり…………
もう、動く事はありませんでした。
とっさに人工呼吸と心臓マッサージをしましたが、知識未熟な自分がたいした事もできるはずもなく
そのままこの世をさる事になりました。
寿命でしょうか?本当に寿命だと思いますか?
最後苦しむのが本当に寿命を迎えた子がする行動なのでしょうか?
やはり自分の責任だと、助けられなかったのは自分のせいだと思います。
もっと生きれたはず、もっとそばに居れたはず。
そう考えてしまうのも否めません。
今でも本当に彼女が大好きです。
その事に偽りはなく彼女がいない部屋を見ると嫌でも思い出し涙が出る日々を送っています。
こんな事をここに書くのは失礼だと思います。だけど何か残したくて。
もういない彼女の何かを残したくて、そして悲しむ自分を心配してくれる人々に面と向かって
言えない事を言いたくてこのページを作りました。
そのためのページのため読めばかなり暗くなる事でしょう。
その事を理解した上で読んでほしいです。
(守也さんのウッキーの想い出)

 

 

 

 


ピーとのお別れ(第5話)
at 2004 02/26 08:37 編集

... ピーとのお別れ ...
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
最愛の家族として友だちとして一緒に
暮らしてきた動物との別れは想像できないくらい
悲しくて辛くて後悔ばかりでした...。
もっとこうしてあげていれば...
もっと早く病院へ連れて行ってあげていれば...

もっと...もっと...
この気持ちが残るばかりでした...。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
たくさん可愛い姿の思い出があるはずなのに
突然の別れはそれを私に
思い出させてはくれませんでした...。
最後の苦しむ姿ばかりが浮かんできて
自責の念にかられます...。
苦しかったよね...辛かったよね...
何か言いたいこと...きっとあったよね...。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
悲しみは大きく私にのしかかり
呼吸が速くなり息ができなくなりました...。
食事をとることも...毎日の生活をすることも
できなくなりました...。
家族の心配が伝わってきます...
でもどうすることもできないままの状態で
時間ばかりが過ぎていきました...。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
神様をも恨みました...
どうして私のそばからこんなに早く
連れて行かれたのですか...と
神様はどうしてこんな残酷な
ことをなさるのですかと...。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あるサイトで天国へ行く前に通る場所が
あることを知りました...。
生前...病気やケガで苦しんでいた子たちは
健康になり元の姿に戻れると...
天国へ行く前に残してきた大切な誰かを
この場所で待っていてくれると...
この手記を読んだとき...涙があふれました...。
私が行くまで健康な姿のままで
たくさんの仲間と一緒にずっと待っていて
くれるんだって思いました...。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
同じように大切な家族を失った友だちから
たくさん励ましてもらいました...。
家族からもそっと見守ってもらいました...。
あたたかい心をたくさんもらいました...

時間はかかってもいつの日か笑って
思い出話ができるときが必ずくるからと
教えてもらいました...。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
いくつもの悲しみを乗り越えて
こられた方々と同じように...
私も必ず乗り越えて行ける時がくる...。

悲しみは次の段階へ行くための
ひとつのステップ...
一緒に過ごした思い出の日々を
忘れないための通り道なんだと...。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
+ + 最後に + +
私が愛してやまなかった最愛のピーへ
いつか私もそばに行きます...。
そのときまで、ずっと空の上から
見守っていてください...。
一緒に暮らした時間はとても幸せでした...。
たくさんの思い出と一緒に
私の命が尽きるそのときまで...
我が心の中に...

(pipiaさんのピーちゃんの想い出)

 

 

 



初代みぃちゃんの想い出(第4話)

 

1 みぃちゃん(初代) 2ヶ月 ロップイヤーラビット miki
2  平成11年2月24日没

みぃちゃんは、とってもかわいいうすい茶色の長毛種のロップイヤー。
お店で、売られていました。「のすけの、お嫁さんにー」と、
その日私は主人と一緒に、ペットショップにいました。
すぐに、私の目に入ったのが、みぃちゃんでした。値段は、かなり高め。
なんとか、主人を説得し、その夜から我が家の家族となりました。
のすけは、みぃちゃんに興奮し、みぃちゃんも又、なれない環境に落ち着きがないようす。
とりあえず、キャリーケースから出すことに。
ところが・・・なんだか、様子がおかしい。
小さい体で、チョコチョコと歩く姿に、じっと見つめていると・・・
なんと、片足が動かない!すぐに、夜間の救急動物病院を調べ、病院へ行きました。
診断の結果・・右足の骨折が判明。しかも、骨折してから大分時間と日にちがたっていることが、分かりました。
が、ここで問題が発生。たった2ヶ月という小さな体では、手術に耐えきれない・・・ということでした。
骨折した部分は、すでに筋肉が固まりギプスの役割をしているような状態でした。
片足切断、もしくはこのまま自力の治癒に任せるか。
なんとも、心が引き裂かれるようなつらい決断を、その時しなければ、ならなかった。
先生との、長い時間の話し合いにより、けっきょく「これからの成長で、治癒していく」
という方法に、委ねることにしました。
小さく、細いその右足にピンク色のギプスがついた。
帰宅したのは、もう朝日が上るころ。そっと、みぃちゃんをケージに入れて、
ただ私は見守ることしか出来ませんでした。
ずっと、ずっと側にいて、のすけと共に見守り続けた・・・。
みぃちゃんは、本当にがんばりました。我が家にきて7日後・・・
小さな、小さなみぃちゃんは、病院で息をひきとりました。
たった、7日間、どんなに辛かったことでしょうか。
あれから、2年目。私の側には、「二代目みぃちゃん」がいます。
でも、けっして初代みぃちゃんの生きた証は心の中から消えることはありません。
そして、これからも私の心の中の大切な家族の一員。
出会えて、本当に良かった。なんにも、助けてあげられなかったけれどきっと、
今頃はお月さまのもとで、のすけと沢山のうさぎさん達と元気に遊んでいることでしょう。
そう、痛みもないギプスもない幸せな天国で。ありがとう、私と一緒に時を過ごしてくれて。
お月さまにいる、いっぱいのうさぎさん達の健康と幸せを、今日も私は祈り続けています。
     miki
P.S ペットショップへお勤めの方へ
動物の健康状態には、十分気をつけて下さい。
けっして、初代みぃちゃんのような、痛い思いをさせないで下さい。私からの、心からの願いです。
(mikiさんが掲示板に書いた文を転記しました)


 

 



のすけちゃんの想い出(第3話)

 

1 のすけ 一歳?ヶ月 雑種      miki
2平成11年6月27日没

のすけと出会ったのは、とあるディスカウントショップでした。
バーゲンセールの値札を貼られ、せまい鳥かごに入れられ、売られていました。
私は、のすけの澄んだ瞳に憧れて、のすけとの生活を始めました。
沢山の愛情と楽しい日々・・・一緒にいることが、私にとって幸せでした。
そんな生活がたった9ヶ月でお別れするなんて。
のすけは、毛球症にかかり緊急手術の二日後、お月さまに行ってしまいました。
あれから、二年の月日がたちました。きっと、今もお月さまのもとで
たくさんのお友達と仲良く遊んでいることでしょう。
私の元には、今ものすけの骨壺と、沢山の思い出がのこっています。
姿は変わってしまったけれど、いつまでも・・これからも、ずっと一緒。
のすけ、たくさんの思い出と、幸せと、楽しかった日々を私にくれて
本当にありがとう。
あなたと出会えて、私は幸せだったよ。
のすけと、お月さまにいる、沢山のうさぎさん達の幸せを心から祈っています。 
       From miki
(mikiさんが掲示板に書いた文を転記しました)


 

 

 


うさこちゃんの想い出(第2話)

 

こんにちは。
 我が家も13年ほど前(名前:うさこ)にうさぎを飼っていました。(それ以前にも1度飼っていたけど)
 13年ほど前に飼っていたうさぎは、4・5歳まで生きてたけど、家の床のコンクリート工事があるときに、
うさぎ小屋を移動する前に工事屋さんが始めてしまったので、どかどかという音で、
精神的に参ってしまったらしく、その後の夏の暑い盛りに眠るように死んでました。
 そのうさぎの思い出は、名前を呼ぶと振り向くけど、逃げていく。
部屋で遊ばせてもトイレの場所を覚えてそこでしか、小便をしなかった。
きれい好きなうさぎだった。追っかけて捕まえる遊びをしたときに、2度と同じ方法で捕まらなかった(学習能力が高かった)。
乾燥させたパンが大好きで、その他のえさで捕まえようとしても、捕まらずに逃げ回ったが、
パンの誘惑にはかなわなかったので、捕まえることができた。
気に入らないことをされると「くっくっ」と鳴いて怒る自己主張のあるうさぎだった。
<Tomさんが掲示板に書いた文を転記しました>

 

 

 



はなちゃんの想い出(第1話)

 

■はなちゃん・5歳♀・Hanapy

■2001年4月19日月に帰る!

■原因はわからなかった。
でも、病院の帰り道の車の中で月に帰ったので、行かなければまだ生きていたのかもしれない・・・と思いつつ、
うさぎ専門の病院は絶対に探しておくべきだとこのとき思いました。
そう5年間1度も病気したことのない、健康優良うさぎだったので安心してしまったのかもしれません。
少し前から様子がおかしいなと思うことが・・・。
いつもは、顔をこちらに向けてるのにお尻を向けるようになったんです。
それから、部屋のすみばかりいくようになりました。
そして、2・3日すると水が上手に飲めなくなって容器のまわりのこぼれた水をなめているんです。
それで指に水をつけてやると一生懸命なめるんです。
病院に行くときには、横になって寝てしまいました。
こんなことも始めてのことです。信号で止まるたびに「はなちん」と呼んでゆすりました。
でも、立ち上がりませんでした。
最後のときは娘が病院にかけつけてなんとかまにあいました。
今思うに、待っていたのだと思います。
娘が抱くと急に「今しゃべったよ。」と言うんです。
なんて言ったのと聞くと「ありがとう」と言ったと言うんです。
そんなはず・・・・・きっとテレパシーだと思うんです。
そして、ありがとうという言葉を残して・・・・・・月に帰りました。
ほんの5秒位あとに・・・・
おつきさまに行って大勢の仲間たちと幸せに暮らして見守ってくれていると信じています。

■はなちゃんの特技は、<どおちてだんす>です。
♪「どおして どおして うまくゆきすぎてー」といいながらあおむけにして
両手をもってやると左右にゆらしてうたにあわせておどります。
それから、怒られるとその場所で頭を床につけてごめんなさいをするのです。
「はなちゃん、早い、早い。」と言うとダッシュして走り回ります。
そんな人懐っこいうさぎでした。


 

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